信玄と謙信の間に子どもがいて、その子は成長して織田信長になった。信長の「信」という字は二人の名前から取った。北信信仰の北の守り神である毘沙門天が関わっていた。信長がその地位に昇りつめるにはそれなりの後ろ盾がないと成し遂げる事は出来なかった。信玄の「信」、謙信の「信」、信長の「信」という三つの「信」に隠された秘密がある。事を進めるために敢えて織田家に養子に出した。信長は、当然、毘沙門天から信玄と共に未来の事を聞いているはずであり、信玄と謙信には手を出せないし、目立った事も出来ない。信長はある程度事を成した後は政治や天下統一に興味がなくなってしまった。そしてキリスト教に傾倒してバチカンに行ってしまった。それは、信長は自分の両親の哀しさを知っていて、自分が供養したいと思っていたからである。ここからが大切な事で、信長は両親の供養を日本では出来なかったという事である。北辰信仰の十字架とは違う十字架であっても、信長は十字架の元に私はおりますという意味を人に向けたメッセージではないだろうか。だから、織田信長が本能寺の変で最後に言ったとされる言葉が「是非に及ばず。」であったのだ。「是非に及ばず。」とは、当否や善悪をあれこれ論じるまでもなく、そうするしか方法がないという意味である。この言葉はひょっとすると信玄と謙信の事に対してであったのかも知れない。
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