★Vol.310.光明的、神・仏と人々が寄り添った真実の歴史!呪いの三恐の一人、崇徳天皇!源義経と弁慶は安徳天皇を逃がし北海道に渡り!弁慶はチンギスハン!

平清盛公の娘が安徳天皇である。崇徳天皇が骨肉の醜い争いに巻き込まれ、香川県の今の善通寺市に左遷された。幼い安徳天皇は平清盛公から預かっている巻物を源義経に手渡した。源義経が巻物を読んで、大師様の未来の計画を知った。その内容を理解した源義経は幼い安徳天皇を預かり逃がすことにした。源氏側がそれに気づいて源義経は追われるようになり、弁慶と一緒に幼い安徳天皇を連れ東北の地に逃げた。十和田湖の近隣の戸来村に北辰信仰の十字架があり横に墓が2つある。この意味は2人の平家の人が来た事を示しており、その2人とは皐姫と安徳天皇を意味する。やがて義経と弁慶は北海道の江差に逃げるのである。源義経は実は女性であり、この地で静かに暮らしたいと言って江差の地に残り、弁慶は、源義経と弁慶の間に生まれた子供を連れて海を渡りやがて弁慶はチンギスハンになった。源義経は江差で人々を導く事を決め、光の民の導きにより江差の町はニシンの豊漁で賑わうことになった。この江差に伝わる姥神伝説の姥は実は源義経であった。

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