昨日、大師様から次の事を伝えられた。大師様は「物事が起こるのは遅く感じるだろ。物事が中々うまく行かないと思う時があるが、物事というのは、一二三(ひふみ)の1という数字の中に、1から始まり、11までの11の時間がある。だから、次の2が始まるまでが長く感じるのだ。この11の時間は神の時間なのだ。1から2は長く感じるが、2から3は短い。1が終了して2に進むと、物事は、2、3、4、5と一気に進んでしまうと」と言う。この1の中に隠されている11の神の時間は、人はこの時間を凄く長く感じるのである。やり始めてから、次の2を開始するまで、仏様は、次に大きな波が来るのが分かっているから、その中で身構えて準備する。人は、次の大きな波が来るのが分からないから、11を歩んでいるうちに時間が経って、何も起こらないと思って、多くの人は途中でやめるか、くじけてしまう。四神の真の資格者は、天に居る時に「私がそれをやる」と、自分で手を挙げて、この世界に降りてきたため、くじけないでやり抜く魂を持っていると言う。大概の御霊の人は、長く感じる最初の11の神の時間を「何も起こらないじゃないか」と途中で諦めてしまうので、これを乗り切ることができない。そのため、11の神の時間を積み重ねないうちに物事が終わってしまうのである。それでは、もうさっぱり駄目なのだと言う。だから大師様の3の数字、弥勒と大師様の3の数字を越えた時点で、何となく世の中の厳しさが分かって来るから、11までの道のりを耐え得る人が多くなる。そのため「石の上にも三年」ということわざはそういう意味があると言う。とにかく、物事が3になるまで耐えることが大切だと言う。この施設に来て、自分はこの方向で進むと決めて、1年目は様子を見て、2年目で状況が分かり要領を得る。しかし、自分がこの仕事に合うのかと迷うと言う。3年目からは要領は分かったから、自分なりにやってみようと思う。だから「石の上にも三年」と言う、3で区切られる数字の意味は、そこにあるのだと言う。大師様は「物事の一二三(ひふみ)の1という数字の中の11の神の時間の迎え方が大切だ。人を踏み台にし、人を犠牲にして迎えた11の数字というのは、11としてカウントされる事はない。人を犠牲にして迎えた11の後には、急に良いことが起こる。しかし、汚いやり方、とんでもない事をして積み重ねて来た11の神の時間の後、神の力を預けるのはほんの一瞬だけなのだ」と言う。だから急に良くなってもすぐに駄目になる。