諏訪湖に伝わる伝説の八重垣姫は、実は、謙信の若き頃の姿だったと言われている。それはまだ当主になる前の少女の頃である。そこへ家を飛び出した不良の侍、浪人である若き頃の信玄と愛し合って子どもが出来た。この事は八重垣姫の周りにいる身内や家臣だけが知っており、このまま放っておけば信玄に知れて殺されてしまうと危惧していた。信玄を逃がすために自分の国である甲斐の国(現在の山梨県)に帰そうとして、八重垣姫が狐のお面をかぶって船頭に化け、船に菜種を沢山積んで、歌を歌いながら花を売る花売りの娘に化けた。そしてその中に女装をした信玄が入って、諏訪湖を渡して帰した。信玄は山梨県で、謙信は諏訪湖の向こう側にあった。当時はそこが上杉家の領土になっていたのだが、戦いで武田家に奪われてしまった。いずれにせよ、信玄と謙信の領地は隣り合っていたので非常に危険であった。その当時は諏訪湖が境界線の様なものになっていたのである。そのため、怪しまれない様に狐のお面をかぶってそこを渡って行った。関所では、信玄は、顔をやけどしているからと、狐のお面をかぶって声だけ出して何とかお願いしますと言ったが、番所の侍にとがめられた時に、私は女ですが、顔が焼け爛れて見せる訳にはいきません、申し訳ありませんと言った。「確かに声は女だ、男ではないから通って良し」と言われて通してもらった。これは子どもが出来た頃の話であるから、また後に会っている。一度帰ったが、戦いの中、謙信に戻って会っていたと思われる。それは謙信が十三、十四歳の頃であった。子どもが出来るまでお忍びで会っていたのである。そして子どもが生まれると、二人の子どもである信長を刀八毘沙門天という僧侶に預けた。その後、戦いまで二人は会っておらず、信玄はそこで謙信と別れてしまった。